検査入院中の生活

ようやく全ての検査が終わり、一旦退院となりました。

入院中の母の様子ですが、元々人に親切で、おおらかで、人に好かれ、人が好きな母のことですから、二人部屋でお隣さんと直ぐに仲良くなり、程よい距離を保ちながらなかなか快適に過ごしていました。

私自身も以前入院をした事がありました。私はどちらかというと普段は一人でいたいタイプなのですが、入院中は退屈ですから、入院中に限っては大部屋を希望し、退屈を紛らわせた方が良いのだと思い、母を大部屋(2人部屋ですが)にさせたのです。

ですが、反対に母としては、普段は社交的なのですが、入院中に限っては、やっぱり個室がいいわーと言うので、次に治療で入院する時は、個室にしようねと話しました。

今回は、検査入院ですから、割と外出も看護師さんに言っておけば自由でしたので、私が休みになると、近くのラジウム温泉に連れ出していました。

お風呂が大好きな母が何日もお風呂に入らない入院生活は、本当にそれだけがストレスでした。

二週間程の入院中に、途中外泊できましたが、病院の浴室を使わせてもらえたのは、たった1日です。でも、病院のお風呂も湯量が良くて、気持ちよかったと言っていました。まあ、外や家で入浴できていたので、3日に1日は、湯船に浸かりました。

私は、病院近くにバスで行ける銭湯がないかを一生懸命リサーチし、母が行くルートに色々頭を悩ませてみたりしました。一箇所だけ見つけましたが、結局、一度も行かなくて済みました。

入院していても、いつも身綺麗にしているオシャレな母は、お肌の手入れやパジャマのオシャレを怠りません。病人になってしまわないように努力していました。

でも、やはり、絶対的に活動量が低下してしまう事や、食事が検査で制限されるため、痩せて歯の艶が失われていました。それから、歩みが不安定になりつつありました。これではいけないと思い、地下の売店に行って運動靴を買い、良く歩くように言い聞かせました。

それから、お部屋から出る時は、必ず運動靴に履き替えるなど、なるべくやることを増やして行動するよにしようねと約束しました。

毎日母は、病院内を良く歩き、なんとか緊張感を持って生活しようとしました。

しかし、やはり入院生活というのは、力を奪います。ベットにいる時間は一緒でも、その他の時間の過ごし方が、家で療養するのとは全然違います。動ける時に、大好きな庭いじりをする事も、簡単に掃除することも、気晴らしする事もできないのですから。同じ時間を過ごすにしても、満足度の違いでこんなに元気を奪われるのかということは、健康な私にも言える事です。時間の過ごし方は、大切ですね。

 

 

PETCT検査当日の顚末

検査前夜から、水分や食事の制限があったため、「インシュリンは、朝打たなくてもいいのね?」と母に聞くと、頑なに打たなくてはならないと言います。「おかしいなぁ、看護師さんは何も言ってなかった?」指示書や、検査の説明書にも特に何も記載がありませんので、母の言うとうり食事を取らず、インシュリンをうちました。

車に乗り込んで30分ほどすると、「なんか、フラフラするから、アメ玉食べるね。これを3つくらい食べればいつも治るから大丈夫」と母。

検査を受ける医院に着いた頃には、冷や汗が出て低血糖発作になっていました。

医院の受付の方に伝えると、「朝インシュリンは?」とおっしゃるので、「普通に打ちました。」と言うと、「えっ?うった。打ちましたか?」と切り返され、、イヤーな予感が的中しました。

「すぐに二階の先生のカウンセリングを受けていただきますが、本日、先生の判断で検査をさせていただけない場合がございます。」と言われました。それでも、二階に到着すると、看護師さんが採血してみますねとか、先生と取り敢えずお話いただいてとか、本日検査を受けられる望みがない訳でもないという言い回しに、こちらとしては、最大限の希望を抱いていた訳です。

しかし、そんな希望は、始めから汲み上げられる筈もないものであったと分かりました。

先生は、「PETCT検査は、癌の好物である糖の所在を見る事で、体内に癌細胞があるのかを判定するものですから、飴などを舐めてしまった後ですと、大変識別し辛くなり、高額な検査費が無駄になってしまう為、本日は中止とし、改めて、最短で入れる検査日を今からお探しします。」と仰いました。

また、延期、、、またまた延期です。

つづく

PETCT検査

大腸内視鏡検査が受けられず、膵臓への転移が疑わしかった母は、PETCT検査を受けることとなりました。

検査前日の夕方、私は仕事が終わり、家に着くと母がいません。妹に聞くと、先程、突然父から電話があり、「病院が、PET検査の医院に持っていくCD‐ROMを母に渡し忘れたために、看護師が届けに来るというので、近くの喫茶店の前で6時半頃待っていて。」と言うので、母はその喫茶店に急いで出かけて行ったまま帰ってこないと言うのです。

もう、7時半になっていました。外はとても寒く、喫茶店は閉まっている時間なので、母の性格上、震えながら外で今か今かと看護師さんの到着を待っているに違いないと思い、父に電話をしました。が、「看護師さんは、6時半に来ると言ったのにおかしいなぁ。」などと言っています。そんなこんなをしているうちに、母が帰ってきました。「看護師さんがくるから早く行って待っていたのに全然来ないし、連絡の取りようも無いからどうしよう」と言う母の体は冷え切っていて、疲れ果てていて、癌が今この瞬間にも大きく進行してしまっているかのように思えました。

私は、そんないい加減なやり取りをして母を苦しめた、看護師と父に対して、こみ上げてくる怒りを必死に抑えながら、父にもう一度電話をしました。

しかし、父も仕事中のやり取りであったであろう事を考えると、行き違いを強く責める訳にもいかないなと考え、母の状況を説明して、代わりに私が行くからと伝えました。喫茶店の前に車を停めて待っている間も、腹が立ってこちらの方も体調を崩してしまいそうでした。

そして、やっと看護師が約束の場所に到着したので、ハザードを付けて停まっている看護師の車のとこに行くようにと父から電話が入りました。

「一体何時だと思っているの!そんな、いい加減なやり取りをした看護師が、どんな顔をしているのか、怒りをぶちまけてやろう」と思っていました。

しかし、暗闇の向こう側から、こちら目掛けて小走りでやってくる看護師さんと目を合わせた頃には、これからまだ母の入院はあるだろし、関係を悪くして母に障りがあってはいけないだとかいった考えに及び、「ほんとにすみませんでした」と謝る看護師さんに対して、心にもなく「いいえ〜母が待っていましたが、寒かったので私が来ました。このCDを渡すんですね〜。」などと愛想よく言葉を返していたのです。

本当に、我ながら、よくぞここまで我慢したものだ。

翌日の顚末など知る由もなく。

 

それにしても、本当にまたか、、、という感じでした。

つづく

 

 

 

肺癌検査続き お食事中の方は閲覧をお控えくださいね。

検査当日、まだまだ便が透明に近くなっていない母は、浣腸エースをする事になり処置室に連れて行かれました。

処置室にはトイレも完備されており、浣腸して五分我慢して出すとのことです。しかし、五分も我慢などとてもできずに最強に催してくるのですが、これに必死に耐えても、一〜二分が限界で爆発してしまいます。これを何度か繰り返しているうちに、、、

母は、滝の様な冷や汗と、血圧がもの凄く上がり、血糖値を計ったところ、こちらも、ものすごい数値になっているということで、緊急中止!糖尿病なので、体が元々大きな負荷には耐えられないので仕方がありません。

処置室から出てきた母は、車イスに乗せられて、顔面蒼白。ほんとに、大変な事でした。

この病院の大腸内視鏡検査は、下剤の処方の仕方、検査の仕方云々というより、水分摂取法の表現の仕方に大きな問題があるように思います。

同じ苦しみを、味わった方が結構いらっしゃるのではないでしょうか。

「いつもより多めに水分を摂取しましょう」ではなくて、、、少なくとも2リットルは摂取してですとか、具体的な分量を書かないと。。

2リットルって、相当頑張って飲まないと飲めませんし、便はこれくらい飲まないと綺麗になんてなりませんからね。

結局、大腸内視鏡検査は、延期どころか受けずじまいです。でも、それに代えて、退院後に別の医院でPETCT検査を受ける運びとなりました。

でも、予約は1週間以上も先のことなのです。

仕方がありませんでした。

そして、また、、このPETCT検査を受けるに当たって、また、この後に及んでという様な事が起きてしまったのです。。

つづく

 

 

 

 

検査、検査、検査

即、入院となり、翌日から検査検査の日々というのに、母は、個室でいいお部屋だとか、病院食は美味しいとか、私達を心配させないように振舞っていました。

私の方は、ネットで母がこれから受けるであろう肺がんの検査について、調べまくりです。

中でも、気管支鏡検査というのが、相当辛そううだと分かり、何とかこの検査を回避できないか、と父に相談するも、医療関係者である父曰く、しっかり調べて、癌が何者であるかを見極めないでは、お医者様も治療をしないよ。との一言で、私が覚悟を決める始末でした。

 

さて、この気管支鏡に備えて、ネットで調べた俄か知識により、母と練習を開始しました。

まず、喉に軽い麻酔をして、気管支に麻酔を吹き付けながら、内視鏡検査を進めていくとの事で、この進めていく過程が非常に苦しく、死ぬ思いだったと、多くの方が嘆かれていました。攻略法として、最初の喉に麻酔を吹き付ける時点で、同時に息を思い切って吸い込み、気管支にも予麻酔がかかった状態になれば、幾らか楽だとの記述を見つけ、このタイミング法を練習開始したのです。

そして、当日は、、大成功!母は、「お姉ちゃんが教えてくれた様にやったら、本当に大丈夫だったよ!」との事で、安心したのも束の間、本当に大変だったのは、膵臓に転移しているかもしれないための検査と大腸内視鏡検査だったのです。

膵臓の検査は、いわゆる胃カメラをもっと奥まで進めて、造影剤を注入してレントゲンを撮りますが、この胃カメラが全く上手く行かなかったのです。

麻酔は口と食道の入り口まで効くのですが、食道は効いていませんから、相当苦しく、検査途中でとうとう中止となってしまったそうです。あーあ。可哀想な事をしました。

なので、また、検査日が延びてしまいました。次回は、眠り薬を点滴しながらのリベンジとなりました。

初めから眠り薬を使用されることをお勧めいたします。

そして、大腸内視鏡検査については、糖尿病持ちの母には、散々な結果となってしまったのです。結論から申しますと、こちらも、途中で中止となりました。

前日からの検査食と、下剤の服用で便を透明になるまで出せると思っていたのですが、水分を多く取ってとの事も問題なく取ったはずでしたが、、今考えれば、これっぽっち多く水分を取っただけで、便が出し切れるはずもないのです。完全に油断してしまいました。

だって、私が胃腸専門病院で検査食と下剤をかけた時は、明らかに下剤の種類が違い、水2リットル近くに溶かして飲むタイプで、夜通し出して綺麗になっていた、くらいのものだったのに、母の場合は、下剤をコップ一杯に溶かして飲んだ後は、なるべく多めに水分を取るとだけあるのです。自動的に母にはあまり水分を摂りすぎるといけないとの考えが湧いたそうで、、おそらく、お腹がゆるくなりすぎるとでも思ったのでしょうが、結果、水分は程々にしか取れておらず、、これでは、綺麗に便を出し切れるはずもないんですよね。

そして、病院で浣腸エース(古い!)となった訳ですが、、、

つづく

肺癌ステージ4

母が73歳、肺癌ステージ4との診断を受けたのは、2017年2月。そこから始まった、検査、治療、これから試そうとしている治療など、今後沢山の方の参考にしていただければと、経過を公開させていただくことにしました。

私は長女で、仕事をしておりますが、家族と、協力しながら、母を支えていきます。

今、願うのは、高齢である母の治療がうまく運び、上手に癌と共存しながらでも、天寿を全うできますように。

もう、高齢ですからね、両肺と膵臓に転移があれば、完治は到底望めないのでしょうけれど、せめて癌と共存していられれば良いのです。それにはどうしたら良いか、試行錯誤ですが、ご覧いただければ幸いです。