ブログをずっと放置ですが、母元気

すみません、ずっと放置で、実はこの後、色々ありすぎて、。。約一年前、ステージ4の肺腺癌闘病生活に入った母は、なんと、今でも元気にしているんですよ。その経過を、また書いて行きます。では、前回の続き。

 

帰省

迷いました。
まっ、でも、様子を見て、熱が下がれば、ちょっと無理してでも行ってしまおう。と言うことになり、当日の朝の体温は、37.6度。ロキソニンを飲んで熱を下げていました。出発です。

えっ?ちょっとまって、ばば(母)荷物多過ぎない?いくらなんでも、一人で持ちきれないでしょ。いつも使用しているシャンプーから基礎化粧品、ドライヤーまで持って行くと言って聞き入れません。

押し問答の末に、「私だって、姪の荷物も持ってあげなきゃだし、自分で持って行ってよ!もう勝手にして。」と、呆れて物も言うのも嫌になり、出発したのでした。

最寄り駅までは送ってもらい、そこから名古屋駅までJRで、その先は乗り換えで新幹線です。

すでに、最寄り駅の在来線に乗るまでに母の荷物は、持ち切れなさそうでした。しかも、熱で呼吸もつらそうです。「ほらね、言ったでしょ。どうするの?だから、置いていきなって言ったのに。」と言うと、母は、「いいの!自分で持っていくんだから!」と言い返し、頑張っていました。頑固者です。本当に。

名古屋駅に着き、新幹線ホームに上がり、かなり、徒歩で移動しました。

姪は姪で、「ばばの荷物を持たなきゃならないから、自分の物は自分で持って」と言っても、何度も何度も言って、やっと渋々聞き入れるといった具合で、楽しい帰省のはずが、このいざこざで、なんともやりきれない思いをしました。

名古屋駅のホームに着いて、新幹線内で食べるためのお弁当を、三人で楽しく選ぶはずが、母は、苦しいから何でもいいから買ってきてほしいと言い出し、なんだか、どうでもいい出発になってしまいました。

イライラしながら新幹線に乗り込み、一息ついたところで、お弁当タイムとなりましたが、母は殆ど食べないどころか、胸が痛いと言い出し、座ったまま痛みに耐えていました。四時間後に乗り換えです。それまで、じっとしていれば治るかも。と。