読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

三回目の抗ガン剤投与

二回目の抗ガン剤は、効果を発揮し、ほんの少し癌が小さくなっていたとのことでした。

今のところ痛みも有りませんし、せめて大きくさえなっていなければと願っていたので、少しでも小さくなってくれて、皆んなで本当に喜びました。

抗ガン剤の効果はまだまだ現れて来ると期待し、3回目が終わったら、もっと小さくなっていてくれるものだと大きな希望も持って臨みました。

 

三回目は、さらに怠さが増して、前の二回より、更に辛そうです。寝汗が凄いとのことで、あまり眠れていません。昼間も殆ど横になっています。

粘膜がやられてしまい、口の中が荒れて痛いのので、薄味の物を少ししか食べられません。バナナや、イチジクのヨーグルト、カシューナッツで栄養を繋いでいます。髪質もごわごわした感じになってきました。

お薬のコントロールは、うまく行っているようで、吐き気はほとんどありません。便秘も今回も大丈夫です。

見た感じの変化も無く、1週間が過ぎる頃には、また復活してきてくれました!

自転車で、また、遠くまで出かけてきたようです。「今日は、〇〇まで自転車こいでいってきたんだよ!でも、さすがに疲れたわ。」と言う母。

「ああ、良かった。今度はどんなにか癌が小さくなっている事でしょう。」

と思っていました。 

先生に診ていただく日にレントゲン撮影もしてもらえます。

また、後日経過を教えて貰えるでしょう。先生もこれならば、帰省しても大丈夫との事だったようです。

 

しかし、翌日から、気になる空咳がまた聞こえるようになりました。

「あれ?また空咳してる?ずっと治っていたのにね。」と少し嫌な予感がしていました。

次の日の朝、夜中から高熱が出てしまったのです。「帰省する日まであと3日位しか無いのに、今こんな高熱が出だしたら、、、間に合わないから、キャンセルしようか。」

母は、「うん、ちよっと無理かな?でも、調子に乗って動き過ぎたから熱が出ただけなら、日に日に良くなるから、行こうかな」と葛藤していました。

 

 

2回目の抗ガン剤治療

1回目を投与してから、二週間後には2回目の抗ガン剤治療を受けました。

「やっと調子が上向きになってきたのに、また、怠くて食べられなくなるのは本当に嫌だわ。もう、抗ガン剤は、これで終わりにしたいわ。」と言っていた母。

治療日当日、母は、行きこそ娘に車で送ってもらいましたが、帰りは、病院から電車とバスを乗り継いで帰ってきてしまいました。1回目があんなに大変だったのに、母は、臆する事なく、自分の可能性に挑んでいくのです。

丁度投与が完了する時間は、子供達が学校から帰ってくる時間と重なり、妹も母を迎えには行けませんし、私も仕事をしょっちゅう早引きするわけにも行きません。当日の朝、「どうしようかな、ババ、帰りは迎えにいけないかもしれないの。タクシーで帰ってきてくれる?」と言っておいたのに。

以前、抗ガン剤治療の実際をまだ知らない頃、治療に通うことになったら、他の患者の皆さんと同じように、電車とバスを自分で乗り継いで通うからと言ってくれていたので、事前に母と2人で駅の下見をしたことがありました。

病院を出発して、てくてく駅をめがけて歩きました。「途中、もし気分が悪くなったり、疲れたら、無理しないでタクシーで帰っておいでね。」とか、道中の喫茶店を見つけては、「暑くて、駅までたどり着けそうになかったら、ここに入って休憩ね。取り敢えずお茶して様子見てとかできるじゃない」などと話しながら。

本当に途中で力尽きたら、電車で座れなかったら、階段がのぼれなかったら、、と実際に治療を始めた母を目の前にして、やっと具体的な困難に気づいている私達なのです。母の挑戦は、娘たちの事情を思ってのギリギリの挑戦だったのだと思うと、情けないことでした。

抗ガン剤の副作用が出るのは、次の日からなので、その日はまだ元気があるとは言っても、毎回そうである保証も無いことですから。

 

次の日から、怠さが来て、母は殆ど横になっていました。

心配していた便秘は、今回はコントロールが上手くいき、1回目の苦しみよりはまだましだったようです。

「二週間後には、また回復していますように。それまで、大変だけど、乗り越えようね。この1週間は、辛さが増すけど、そこからは回復していくから、癌を小さくするよ!免疫治療に向けてやれるだけやろう!」と前向きに耐えました。

1週間が過ぎた頃、「なんだか、ご飯も食べれるようになったし、咳が出なくなったし、痛みも無いし、体に元気の芯が入った気がする」と母が言います。今思えば、このタイミングで抗ガン剤をやめ、免疫治療に切り替えるべきだったのかもしれません。

日に日に体力は回復し、自転車でかなり遠くまで出かけたり、バスに乗って出かけたり、庭をいじったり、疲れたら横になり、理想的な状態を維持していました。

そして、投与後2週間を迎える2日程前に、父と母と先生で三回目の抗ガン剤をどうするかの話し合いがされました。

抗ガン剤の効果が良く出ており、この調子で!と、あと1回抗ガン剤を受けることにしたというのです。

ゴールデンウィークに、母と帰省して、祖母と対面する大事な計画が持ち上がっていましたので、三回目はもっと後にするか、もうやらないで免疫治療に切り替えるという話を先生としてくると言っていたのに、先生が、「丁度投与後2週間になる頃だから帰省にも間に合うよ」とおっしゃったと言って、承諾してきてしまったのです。

先生がおっしゃるとおり、本当にそんなに上手く進んで行くだろうから、三回目も頑張ろうねとほとんど心配する事もなく、皆、希望さえ持っていたのです。

つづく

 

抗ガン剤治療後の経過

初めての抗ガン剤については、前述のとおり便秘が一番大変な試練でした。便秘が落ち着くと、次にやってくる試練を心配する余裕ができてしまうものですね。

「抗ガン剤は。日に日に効いて副作用がでてくるから、吐き気が出たり、髪が抜けたりがこれからはじまるね。やだなぁ。吐き気はすごいのかな?」と、とても不安がる母に対して私は、「そんなのだいじょぶ、今は、いいお薬がよく効くし、大体、ばばが調べた情報は、もう時代遅れだよ。癌の薬は、ほんの数年前とは劇的に進歩してるんだよ。ドラマや小説の派手な副作用の世界は、もう何年前の事だと思ってるの〜。」と、「大丈夫のあんじを掛ける」意志を持って、何回も同じ言いまわしで返答をしました。

しかし、薬が劇的に進歩しただなんて、何処かで聞いた事があったようなという程度の、何の根拠も無い勝手な言い分に過ぎません。私にとっても、自分であんじをかけて、少なくとも、私と母の世界では、こういった認識でいたかったのです。

しかし、母の食欲は一向に回復せず、怠さが増してきました。

その程度の(予想していなかった便秘の試練に比べたら)ことは、まだ仕方がないと言える母でした。

実際は、あんじが効いたのか、最初から一番恐れていた吐き気が少々ですみました。

母の元来素直で楽観主義的な性格が、暗示効果を発揮させているとでも言うのでしょうか。(裏を返せば、相当頑固者。)

初めての抗ガン剤は、一週間入院して状態が安定してきたため退院となりました。

在宅で飲む吐き気どめや、インシュリンなど沢山のお薬、「さあ、家に帰ったら、元気のある時は庭をいじって、自分らしく生活するよ!あれも、これも」という大いなる希望とともに母は帰ってきました。

「あ〜やっぱり、家がいい!まだ、地の底に引きずり込まれるかの様に怠くて辛いけど、まだ家にいる方がいい。自由だもん。」

在宅4日目に吐き気どめの薬が切れて、ムカムカが増して、救急外来にかかった以外は、体は日に日に回復してきました。

まだ1回目だからか、髪も抜けてきません。顔色が青く、さらに痩せてしまいましたが、知らない人が見たら、癌患者とは思わないでしょう。

「本当に、今は薬がいいんだね。この程度なら、抗ガン剤は平気かもしれない」とその時は本当に思えました。

二週間が経って、体調や食欲も回復傾向で、喜んだのも束の間、今度は2回目の抗ガン剤を打ちます。次から次へと癌をやっつけなくては、と急き立てられて、体調回復の幸せに浸っている時間はありませんでした。

 

1回目で、薬の調子を合わせたので、2回目からは通院で投与が可能なのだそうです。抗ガン剤投与部屋に行き、ズラーっと並んだベッドの上でテレビを見ながら、みんな一緒に投与されます。

つづく

 

 

抗ガン剤治療の始まり

2017年3月8日から、母は、第1回目の抗ガン剤治療を開始するため、再び入院しました。

 

今回の入院に備えて準備したものが、本です。

読書好きな母が少しでも退屈しないようにと思い、以前から村上春樹さんの新刊を読みたいと言っていたので、上下巻合わせて「これは、今読んではだめだよ。入院してからね。」と言ってプレゼントしていました。

憂鬱な入院生活の始まりに少しでも楽しみが加わるように。

母は、入院日から喜んで読み進めていました。

 

翌日からは、とうとう抗ガン剤治療の開始です。

治療前に、採血があったと思います。普通の採血では無く、動脈から取る採血です。

丁度手首の脈のあたりに、太い針を直角に刺し、動脈血を取りました。研修医の名札をつけた先生でしたが、不安とは裏腹に一発で取ってくださいました。先生は、「この採血は、痛いですからね、頑張ってくださいね。」と言いながら、慎重に慎重に針を刺す場所を探してくれました。痛いですからねと言われても、初めて聞きますし、こちらとしては、「えっ!そんな。頑張るしかないの?」という感じでした。

以前、私が手術した時、とびきり痛い注射をされたのですが、その時の注射はこれだったのだ!と初めてわかりました。

とっさに、「痛い時、看護師さんが胸のあたりをトントンしてくれて、だいぶん痛みから意識を晒す事ができたなぁ」という事を思い出し、母の胸をトントンしてあげました。

この方法は、母にも有効だったようです。

抗ガン剤は、3時間点滴の間ベッドで横になっていなくてはなりません。

しかし、母は、その半分以上の時間眠る事が出来たとのことで、それほど退屈しなかったし、しんどくもなかったとのこと。

吐き気止めも、同時に点滴されていたので、翌日までは、あまり変りなく過ごせました。

便秘も予測されていたので、下剤も飲んでいました。

しかし、3日目になっても、お通じが無いのと、食欲が急激に失せたのとが始まりました。

あんなに好きだった病院食も食べられなくなりました。便秘など殆どした事が無いくらい快腸な母にとって、催すのに詰まって出てくれない症状は、一番厄介でした。

摘便もうまくいかず、下剤の量を増やして待つのみ。ポータブルトイレを部屋に持ち込んでもらい、しばらくにらめっこです。

4日から5日目に入ろうとする真夜中、排便が少しづつ始まったそうです。

その後は勢いを増して、朝方まで。

完全に3日は、殆ど眠れていません。また、食べれていません。出し切って、やっとこさ、朝からゆっくり眠りたいと思っても、採血や検温、巡回で二時間毎に起こされます。夜どうし大変だった母は、「午前中はゆっくりと眠らせて欲しかったけど、検温やら採血やら声かけやらで、眠らせてはくれないの。」と辛そうでした。

父は、医療関係者なので、この辺の事情はよく分かっていますが、それにしても、「看護に血を通わせる」のとは別問題といい、患者の状況に関係なく、ただ自分の計画で世話しているだけの事と同じと言って、大変嘆いていました。

 

私なんかは、決まりなんだから仕方が無いでしょうと思いますが、看護学校で教えていた事もある父としては、嘆かわしい状況であると感じたのでしょう。

そんなこんなで、頗る体調が悪化してしまった母なのでした。

一日も早く退院しなくてはと思いました。

 

 

 

抗ガン剤治療を決心するまで

母は、肺腺癌ステージ4で初期の膵管転移がありました。

両肺に3センチ程度の結節と小さな癌細胞が沢山散らばっている状態です。

治療が開始出来ないまま、一ヶ月が経ってしまいましたから、日に日に悪化して行っているのがわかります。

空咳の回数が増え、しんどさが増し、大好きな銭湯からも足が遠のいています。

母としては、「もう、十分に頑張って生きてきたし、積極的な治療はしたくないなあ。苦しまないように最後を迎えるだけを願いたいわ。」と主張していました。

私も、積極的な治療で苦しむのは可哀想だと思っていましたので、自費で大変高額ではありますが、今話題の免疫療法というのを受けさせたいと思っていました。

父と先生と母で、話し合いがされました。

先生曰く、「今はとても薬が良くて、少し前のように、酷い吐き気を我慢する必要もないし、緩和ケアは、治療中から積極的に受けられるから、上手に癌と付き合って、少しでも長く自分らしい生活をしましょう。

抗ガン剤をやめるのは、いつでもやめられるし、きっと、その時が来る時は、迷いは無くなっているから、迷っているなら、やりましょう。副作用が殆ど無いという、免疫治療は、一般的にまだまだ証明に乏しいし、それを行うにしても、癌をできるだけ小さくしてからでも遅くはないよ。」とのことでした。

 

なるほど、それならば、先生のおっしゃる通りにしてみようと思えました。とにかく、個人の生活の質を落とさないでいられる事が、最も重要な課題なのです。

なぜなら、母は高齢ですが、自分の体が動く限り、地域社会に尽くし、若い世代に知恵や安心感を与えてくれました。

その恩恵を、元気な私達若い世代が享受し、社会に還元して行っていることを忘れてはいけないと思っているからです。

経験を重ねた高齢者が、地域社会で活躍してくださるという期待と価値が、少子問題にもリンクしていることを、日頃から母の活動や姿勢を通して実感しています。

副作用が無くなれば、病気と共存しながら、自分らしく社会生活を全うできれば、癌になっていたって、慢性的な病があったって、その人の人生や社会での生産性は急激には失われません。

 

痛みや、苦痛がその人の生活の質を落とす一番の原因なのですから。

まだまだ、母は、体さえ動けば期待される事や、役目を果たせる経験や知性があります。

母に限らず、そういった方々の経験や知性が病のために、病の苦痛のために、真っすぐ終わりに向かってしまうのは、社会にとっては大きな損失でもあります。

いかに、それぞれの世代が、自分に出来ることを自分らしく続け、社会に還元していくのか。地球が自転するかのように、普遍的な力として存在させるのか。

高齢者に限らず、病気と上手く付き合い、生活の質を保って行くことは、少子高齢問題解決の1つの鍵だと思えます。

 

行く行くは、母に受けて貰いたいと思っている、副作用が少なく色々な癌に有効であると言われている、免疫療法は、やはり高額であるため、最後まで受け続けられた方が少ないのと、ネット上でも、リアルな患者側からの情報発信が無いため、本当に有効な治療であるのか、身体状況がどの程度改善していくのかは、今の所賭けのようなものなのです。
もっと、患者側からの情報発信が無いのかといつも思います。

むしろ、私も、母が免疫療法を始めたら、患者側からの情報を発信しなくてはと思っています。

 

 

検査入院中の生活

ようやく全ての検査が終わり、一旦退院となりました。

入院中の母の様子ですが、元々人に親切で、おおらかで、人に好かれ、人が好きな母のことですから、二人部屋でお隣さんと直ぐに仲良くなり、程よい距離を保ちながらなかなか快適に過ごしていました。

私自身も以前入院をした事がありました。私はどちらかというと普段は一人でいたいタイプなのですが、入院中は退屈ですから、入院中に限っては大部屋を希望し、退屈を紛らわせた方が良いのだと思い、母を大部屋(2人部屋ですが)にさせたのです。

ですが、反対に母としては、普段は社交的なのですが、入院中に限っては、やっぱり個室がいいわーと言うので、次に治療で入院する時は、個室にしようねと話しました。

今回は、検査入院ですから、割と外出も看護師さんに言っておけば自由でしたので、私が休みになると、近くのラジウム温泉に連れ出していました。

お風呂が大好きな母が何日もお風呂に入らない入院生活は、本当にそれだけがストレスでした。

二週間程の入院中に、途中外泊できましたが、病院の浴室を使わせてもらえたのは、たった1日です。でも、病院のお風呂も湯量が良くて、気持ちよかったと言っていました。まあ、外や家で入浴できていたので、3日に1日は、湯船に浸かりました。

私は、病院近くにバスで行ける銭湯がないかを一生懸命リサーチし、母が行くルートに色々頭を悩ませてみたりしました。一箇所だけ見つけましたが、結局、一度も行かなくて済みました。

入院していても、いつも身綺麗にしているオシャレな母は、お肌の手入れやパジャマのオシャレを怠りません。病人になってしまわないように努力していました。

でも、やはり、絶対的に活動量が低下してしまう事や、食事が検査で制限されるため、痩せて歯の艶が失われていました。それから、歩みが不安定になりつつありました。これではいけないと思い、地下の売店に行って運動靴を買い、良く歩くように言い聞かせました。

それから、お部屋から出る時は、必ず運動靴に履き替えるなど、なるべくやることを増やして行動するよにしようねと約束しました。

毎日母は、病院内を良く歩き、なんとか緊張感を持って生活しようとしました。

しかし、やはり入院生活というのは、力を奪います。ベットにいる時間は一緒でも、その他の時間の過ごし方が、家で療養するのとは全然違います。動ける時に、大好きな庭いじりをする事も、簡単に掃除することも、気晴らしする事もできないのですから。同じ時間を過ごすにしても、満足度の違いでこんなに元気を奪われるのかということは、健康な私にも言える事です。時間の過ごし方は、大切ですね。

 

 

PETCT検査当日の顚末

検査前夜から、水分や食事の制限があったため、「インシュリンは、朝打たなくてもいいのね?」と母に聞くと、頑なに打たなくてはならないと言います。「おかしいなぁ、看護師さんは何も言ってなかった?」指示書や、検査の説明書にも特に何も記載がありませんので、母の言うとうり食事を取らず、インシュリンをうちました。

車に乗り込んで30分ほどすると、「なんか、フラフラするから、アメ玉食べるね。これを3つくらい食べればいつも治るから大丈夫」と母。

検査を受ける医院に着いた頃には、冷や汗が出て低血糖発作になっていました。

医院の受付の方に伝えると、「朝インシュリンは?」とおっしゃるので、「普通に打ちました。」と言うと、「えっ?うった。打ちましたか?」と切り返され、、イヤーな予感が的中しました。

「すぐに二階の先生のカウンセリングを受けていただきますが、本日、先生の判断で検査をさせていただけない場合がございます。」と言われました。それでも、二階に到着すると、看護師さんが採血してみますねとか、先生と取り敢えずお話いただいてとか、本日検査を受けられる望みがない訳でもないという言い回しに、こちらとしては、最大限の希望を抱いていた訳です。

しかし、そんな希望は、始めから汲み上げられる筈もないものであったと分かりました。

先生は、「PETCT検査は、癌の好物である糖の所在を見る事で、体内に癌細胞があるのかを判定するものですから、飴などを舐めてしまった後ですと、大変識別し辛くなり、高額な検査費が無駄になってしまう為、本日は中止とし、改めて、最短で入れる検査日を今からお探しします。」と仰いました。

また、延期、、、またまた延期です。

つづく