抗ガン剤治療の始まり

2017年3月8日から、母は、第1回目の抗ガン剤治療を開始するため、再び入院しました。

 

今回の入院に備えて準備したものが、本です。

読書好きな母が少しでも退屈しないようにと思い、以前から村上春樹さんの新刊を読みたいと言っていたので、上下巻合わせて「これは、今読んではだめだよ。入院してからね。」と言ってプレゼントしていました。

憂鬱な入院生活の始まりに少しでも楽しみが加わるように。

母は、入院日から喜んで読み進めていました。

 

翌日からは、とうとう抗ガン剤治療の開始です。

治療前に、採血があったと思います。普通の採血では無く、動脈から取る採血です。

丁度手首の脈のあたりに、太い針を直角に刺し、動脈血を取りました。研修医の名札をつけた先生でしたが、不安とは裏腹に一発で取ってくださいました。先生は、「この採血は、痛いですからね、頑張ってくださいね。」と言いながら、慎重に慎重に針を刺す場所を探してくれました。痛いですからねと言われても、初めて聞きますし、こちらとしては、「えっ!そんな。頑張るしかないの?」という感じでした。

以前、私が手術した時、とびきり痛い注射をされたのですが、その時の注射はこれだったのだ!と初めてわかりました。

とっさに、「痛い時、看護師さんが胸のあたりをトントンしてくれて、だいぶん痛みから意識を晒す事ができたなぁ」という事を思い出し、母の胸をトントンしてあげました。

この方法は、母にも有効だったようです。

抗ガン剤は、3時間点滴の間ベッドで横になっていなくてはなりません。

しかし、母は、その半分以上の時間眠る事が出来たとのことで、それほど退屈しなかったし、しんどくもなかったとのこと。

吐き気止めも、同時に点滴されていたので、翌日までは、あまり変りなく過ごせました。

便秘も予測されていたので、下剤も飲んでいました。

しかし、3日目になっても、お通じが無いのと、食欲が急激に失せたのとが始まりました。

あんなに好きだった病院食も食べられなくなりました。便秘など殆どした事が無いくらい快腸な母にとって、催すのに詰まって出てくれない症状は、一番厄介でした。

摘便もうまくいかず、下剤の量を増やして待つのみ。ポータブルトイレを部屋に持ち込んでもらい、しばらくにらめっこです。

4日から5日目に入ろうとする真夜中、排便が少しづつ始まったそうです。

その後は勢いを増して、朝方まで。

完全に3日は、殆ど眠れていません。また、食べれていません。出し切って、やっとこさ、朝からゆっくり眠りたいと思っても、採血や検温、巡回で二時間毎に起こされます。夜どうし大変だった母は、「午前中はゆっくりと眠らせて欲しかったけど、検温やら採血やら声かけやらで、眠らせてはくれないの。」と辛そうでした。

父は、医療関係者なので、この辺の事情はよく分かっていますが、それにしても、「看護に血を通わせる」のとは別問題といい、患者の状況に関係なく、ただ自分の計画で世話しているだけの事と同じと言って、大変嘆いていました。

 

私なんかは、決まりなんだから仕方が無いでしょうと思いますが、看護学校で教えていた事もある父としては、嘆かわしい状況であると感じたのでしょう。

そんなこんなで、頗る体調が悪化してしまった母なのでした。

一日も早く退院しなくてはと思いました。